クァードに転向し、持ち前のスピードとパワーで翻弄する菅野浩二
アジアパラ競技大会7日目。10月12日に車いすテニスシングルス決勝が行われ、男子は国枝慎吾が金メダル、眞田卓(凸版印刷)が銀メダル、鈴木康平(AOI Pro.)が銅メダルを獲得。女子は上地結衣が金メダル、大谷桃子(西九州大学)が銅メダル。国枝、上地はともに東京パラリンピックの出場権を獲得した。
車いすテニスには、男子、女子に加えてクァードがある。クァードは下肢障だけでなく上肢にも障害がある選手のクラスだ。このクァード決勝に、日本の菅野浩二(リクルート)が出場。韓国のKim Kyu-Seungと対戦し初めてのアジアパラ競技大会で銀メダルを獲得した。
1981年生まれの菅野は、高校1年の時に交通事故で頸椎を損傷し車いす生活となった。中学でサッカー、高校ではバスケットボール部で活躍するほどスポーツ好きだったが、障害を負った後スポーツから遠ざかっていた。
菅野が車いすテニスを始めたのは、20歳の時。職業訓練のための国立障害者リハビリテーションセンターで、車いすテニス選手の本間正広に出会ったことがきっかけだ。テニス用の車いすを譲り受け、初めてテニスに取り組んだ。
「当時は、趣味程度。週末にラケットを振るくらいで、クァードのことも知りませんでした」
体幹機能がほとんどなく上肢に障害がある菅野が、片下肢切断などで上体には障害のない選手を打ち負かすのは至難の技である。しかし、菅野は、上位ランキングの選手しか出場することのできない全日本選抜マスターズへの出場を果たすまでの実力を身につけたのだった。
2016年に初出場したマスターズで、アテネパラリンピック車いすテニスダブルスで国枝とともに金メダルを獲得した齋田悟司(シグマクシス)からクァードへの転向を勧められた。男子クラスでも通用したスピードとパワーは、菅野の大きな武器である。それをクァードで生かせば、2020年東京パラリンピック出場も夢ではない。ここから菅野の新たな挑戦が始まったのだった。
2017年から、クァードで本格的に国際大会に出場するようになると、あっという間に世界のトップランキングへの階段を昇っていく。わずか1年でシングルス4位。アジアパラ競技大会には、トップ選手として臨んだのである。
決勝で対戦した韓国のKimは、54歳のベテラン。菅野同様、男子クラスから転向した選手だ。狙いを定めて打ち込んでくるアンダーサーブが特徴だ。車いす操作に優れ、粘り強く返球する。
試合は韓国Kimのサービスで始まった。先制点を許したが、相手のミスに助けられデュースを制して1ゲーム目をモノにした。しかし、2ゲーム目以降、菅野のサーブミスが連続する。さらに武器のパワーショットを放つもネットにかかるなどのミスが続き、1セット目を3-6で落とした。
2セット目、菅野は戦法を変える。積極的にコートの前に出てドロップショットやボレーでKimを翻弄した。揺さぶりをかけたことで、パワーのあるショットも生きる。さらにはサービスエースも連発した。
「足を止めるな!」「この、タコ! 動け!」
菅野が自分を鼓舞する声が、コートにこだまする。終始冷静にプレーするKimとは対照的だ。
菅野は2セット目を6-4で奪い返した。
しかし、反撃もここまで。3セット目に入ると再びミスが続き、Kimの攻撃が冴えて結局1-6でゲームセット。今大会の目標だった金メダルを逃した。
「最大の敗因は暑さでした。僕は体温調整ができないという障害もある。氷や水で濡らしたタオルで体を冷やし、直射日光に当たらないように長袖を着用するなどさまざまな対策を立てていましたが、それでもスタミナが奪われた。同じクァードでも、Kim選手にはその障害がない。3セット目にはもうほとんど力が残っていませんでした」
30度以上の気温と高い湿度。2年後の東京パラリンピックでは、さらに過酷なコンディションが予想される。
「今大会、そのことをすごく意識していました。それでも準備不足でした」
連戦の疲労、暑さとの戦い。車いすテニスでの世界の頂点には、テニスや車いす操作のスキルだけでたどり着くことはできない。
「今大会、暑さや疲労の中でトーナメントを戦い抜いて決勝まで来られた。そこは自信になりました。今後、さらに勝つための精度を高めていきたい」
菅野の挑戦は、始まったばかり。ここから東京までまっしぐらに突き進んでいくのだ。
(文・宮崎恵理、撮影・吉村もと)