昨年11月、続投が決まった車いすバスケットボール男子日本代表の指揮官、及川晋平ヘッドコーチ(HC)が、新キャプテンに抜擢したのは、豊島英だ。
豊島が初めてパラリンピックに出場したのは、2012年ロンドン大会。目指してきた「世界最高峰の舞台」についに到達した喜びはあったが、チームは決勝トーナメントに進出することができず9位に終わり、ベンチを温めることが多かった自分自身にも悔しさを感じた。
次こそはと臨んだ2016年リオデジャネイロ大会。そこには、主力の一人となった豊島の姿があった。しかし、結果はロンドンと同じ9位。果たして、豊島は何を思い、そしてどのようにして次へのスタートを切ったのか――。彼が拠点とするドイツの地、ケルンを訪れた。
「可能性」から「確立」へ。リオで感じた東京へのミッション
2017年12月8日。豊島が住むケルンの街は、最低気温が0度に届きそうなほどの寒さに覆われていた。
豊島は現在、ドイツの車いすバスケットボールリーグ、ブンデスリーガのKöln99ersに所属している。ブンデスリーガには、各国の代表選手がズラリと並ぶ強豪チームもあり、毎週のように試合が行われている。豊島が、さらなる成長を求めて海を渡った一番の理由は、そこにある。
「さらなる成長」――豊島がその必要性を一番に痛感させられた場所、それが“リオの地"だった。
2016年9月、リオデジャネイロパラリンピック。男子日本代表は、ロンドンからの4年間で変貌を遂げ、確かな手応えを感じて「世界最高峰の舞台」に臨んだ。だが、結果はロンドンと同じ9位。2大会連続で決勝トーナメント進出さえもかなわず、4年後に自国開催を控える日本代表にとってそれは、非常に厳しい「現実」であった。
しかし、決してチームが停滞していたわけではない。誰もが皆、「手応え」を感じていた。それは、豊島も同じだった。
「同じ9位でも、意味合いはロンドンとはだいぶ違っていました。完全な力負けではなく、世界基準での競り合いができた。それは、本当に大きな収穫でした。もちろん、そういう試合に勝つまでには至っていなかったからこそ負けたわけで、手応えを感じた分、悔しさも募りました」
チームがリオで感じた「手応え」は、「伸びしろ」「可能性」だったに違いない。
しかし、豊島が言うように、その力を結果を残すレベルにまで確立することができなかった。それが、リオでの「9位」の真相だったのではなかったか。だからこそ、東京では手応えで終わらせず、結果につなげなければならない。それが、自分たちに課せられたミッション。
豊島はそう考え、次へのスタートを切った。
“手応え"と“教訓"を得た代表戦
「自分たちが取り組んでいるこの新しいバスケで、東京まで突き進むだけの価値がある」
豊島がそう強く感じたのは、リオ後、男子日本代表チームの初お披露目となった国際親善試合「三菱電機WORLD CHALLENGE CUP 2017(WCC)」(2017年8月31日~9月2日、東京体育館)だ。
イギリス、トルコ、オーストラリア、日本の4カ国が参加した同大会で、日本が見せたのは攻守の切り替えを速くした「トランジションバスケ」だった。特に、日本にとって大きな自信となったのは、初戦のオーストラリア戦だった。親善試合とはいえ、約1カ月後に世界選手権の予選を控えていたことを考えれば、日本と同様、オーストラリアも本番さながらに臨んできたことは間違いない。そんな中、日本の激しいプレスディフェンスに、オーストラリアは思うようなプレーができず、3分もの間、得点することができなかったのだ。
豊島は言う。
「オーストラリアの攻撃を何連続も止めることができたあのスタートは、とても大きかったと思います。これまでももちろん勝ちに行くつもりで臨んではいましたが、実際には大きく実力差があって、正直『やっぱりな』と思うことも少なくありませんでした。でも、あの試合で自分たちのバスケをしっかりやれさえすれば、オーストラリア相手にも勝てる、と本気で思えた。コート上のメンバーだけでなく、ベンチやスタンドで見ていた選手全員がそう感じることができたはずです」
結果は、69-70と1点差に泣いた日本だったが、それでも豊島は「チームの意識を大きく変えた大事な一戦だった」と振り返った。
そうして迎えた10月、世界選手権予選の「2017IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップス」(中国・北京)。日本は、4枠ある出場権獲得はもちろん、アジアオセアニアチャンピオンの座を獲得することを最大の目標として臨んだ。そして、誰もが皆、決勝で当たるであろうオーストラリアとの再戦を待ち望み、そこでの勝利を目指してチームはまさに一つにまとまっていた。
しかし、日本は準決勝でイランに76-80で競り負け、アジアオセアニアチャンピオンとなるチャンスも、オーストラリアとの再戦の場も逃してしまった。
3位決定戦で韓国を破り、銅メダルを獲得。世界選手権の切符も手にした日本だったが、この大会では今後の教訓を得たと豊島は語る。
「決勝でオーストラリアに勝って優勝するということですごくチームがまとまっていました。ただ、今振り返ると自分自身もチームも、そのことにフォーカスし過ぎてしまっていた。イランを甘く見ていたわけではなかったものの、スカウティング一つとっても完全ではなかったかなと。どんな相手でも、目の前の試合を一つずつ勝っていくための準備をしっかりとしていくことの重要性を改めて感じました」
「35.7%」の数字に隠された「決意」
北京から帰国後、豊島は数日後には再び日本を発ち、ドイツへと向かった。すでに9月末に開幕していたブンデスリーガに参戦するためだった。
日本代表活動が続いていた豊島、村上直広、網本麻里の3選手が不在だったKöln99ersは、0勝5敗で最下位と苦戦を強いられていた。
そんな中、日本人3選手が合流したKöln99ersは、徐々にチーム力を高め、11月25日には、開幕8試合目にしてついに初勝利を挙げた。
現在、12月10日の試合を最後に、リーグはいったん、クリスマスブレークに入った。2018年1月13日からリーグ戦が再開され、Köln99ersにとっては、1部残留をかけた厳しい戦いが続くことになる。
チーム状況とは別に、豊島自身において気になることがあった。それは、ブンデスリーガでの個人成績である。なかでも最も気になったのは、フリースローの成功率だ。
「35.7%(5/14)」
7割以上を求める日本代表において、豊島は高確率で決めるプレーヤーの一人だったはずだ。その彼において、「35.7%」は、あまりにも低い数字だ。果たして、その数字は何を意味しているのか――。実は、そこには豊島の「ある決意」が隠されていた。
「自分の最大の弱点は、得点力。ずっと分かってはいましたが、なかなか克服できずにいました。でも、今、日本が目指しているのは、誰でも得点できるバスケです。その中で自分もシュートシチュエーションになった時に、決めきるだけの力をつけることは、絶対に必要です。だからこそ今、シュートフォームに着手しているんです」
取材に訪れた12月8日、ケルンの体育館では、黙々とシューティング練習を行なう豊島の姿があった。彼が繰り返し行なっていたのは、ペイントエリア外からのミドルシュートだ。
これまで海外勢相手に豊島のシュートシーンと言えば、カットインからのレイアップシュートがほとんどだった。しかし、今後はアウトサイドからのジャンプアップシュートも狙っていくつもりだ。そのために今、豊島はルーティンからフォームまで、細かく見直している。
目先の「結果」ではなく、さらなる「変化・成長」を求めている豊島。日本屈指の守備力とスピードを持つ彼に、アウトサイドからの得点力が加われば、日本の攻撃力が格段に上がることは間違いない。「35.7%」という数字は、そんな彼の覚悟を持ったチャレンジの証と言える。
キャプテン豊島が求める「一人一人の自覚」
12月10日に今年最後のリーグ戦を終えて帰国してきた豊島は日本代表の選考合宿に参加した。強化指定選手に入らなければ、2018年の日本代表活動は皆無となるため、選考合宿では全員が必死の思いで臨んだはずだ。特に若手が台頭してきている男子は、代表枠争いが激化。一度チャンスを逃すと、這い上がってくることは非常に難しい。
そんな中、キャプテンを務める豊島が、選手一人一人に求めているのは「自覚」だ。
「全員が求められてこの場にいるわけで、決して部外者ではないということを自覚してほしいんです。一人一人が自分をリーダーだと思って行動してほしい。ミーティングでも誰かに任せて黙っているのではなく何か発言するとか、あるいは笑わせてムードを明るくするとか……。何かしらチームに貢献し、自分の役割を見出してほしいと思っています」
豊島自身、本来は決して前に出るようなタイプではない。「自分ではキャプテン向きではないと思っているんですけどね(笑)」と豊島。
それでもキャプテンを引き受けたのは、何より2020年東京パラリンピックで勝つために、自分ができる役割だと感じたからにほかならない。
「ロンドン、リオと経験してきて、正直、本音を言えなくて内心モヤモヤしていた時もありました。でも、そういう選手が一人でもいるようなチームが、海外勢相手に勝つことはできないと思うんです。だから今から、全員が自覚を持てるように働きかけたいなと。僕自身、コート上では先頭で引っ張るタイプでもポジションでもない。だからこそ、コート外のところで、自分ができるキャプテンとしての役割を果たしたいと思っています」
自身にとって3度目のパラリンピックでは、「後悔」でも「悔しさ」でもなく、「達成感」を味わうつもりだ。そのためにやれること、やるべきことはすべてやり尽くす――。豊島は、そう決めている。
<豊島英(とよしま・あきら)>
1989年2月16日、福島県生まれ。株式会社WOWOW所属。生後4カ月で髄膜炎を患い、両脚が不自由となり、車いす生活となる。中学生の時に車いすバスケットボールと出合い、地元の「TEAM EARTH」に入る。2009年に「宮城MAX」へ移籍し、同年には日本代表候補の合宿に初招集される。翌10年には初めて代表入りを果たし、世界選手権に出場した。その後は常に代表入りするようになり、12年ロンドンパラリンピック、14年世界選手権、アジアパラ競技大会、16年リオデジャネイロパラリンピックなど、数々の国際大会に出場。リオ後、2020年東京パラリンピックに向けた新体制発足時に代表のキャプテンに任命された。国内で所属する宮城MAXは現在日本選手権9連覇中で、豊島は2010、13、15年と3度のMVPに輝いている。また、2016-17シーズンからはドイツ・ブンデスリーガのKöln99ersに所属し、チームのリーダー的存在として活躍。各国代表選手相手に、スキルアップを目指している。
(文・斎藤寿子、写真・岡川武和)