100m(T13)でアジア新記録を樹立した川上秀太
4月30日、「第34回日本パラ陸上競技選手権大会」2日目の競技が、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場(兵庫県神戸市)で行われ、持てる力を尽くしベストに挑む、熱い戦いが繰り広げられた。
4位以内の入賞でパラリンピックの切符をつかむことができる7月の「パリ2023世界パラ陸上競技選手権大会」(以下、世界選手権)出場に向け、派遣標準記録突破を狙うアスリートたちの闘志で会場は熱を帯びた。
トラック競技では、男子100メートルT13(視覚障がい)クラスで、川上秀太(アスピカ)が10秒98のアジア新記録を樹立。「自分の走りをつかめた」という川上は4月16日に行われた「愛知パラフェスティバル」で10秒81をマークしており、社会人3年目で仕事と競技の両立が安定し、シーズンオフの冬場にトレーニングをしっかり積めるようになったことが、10秒台をコンスタントに出せることへとつながったと話す。また、200メートルについては「勝ちたいという気持ちが出すぎてスタートで失敗した」とレースを振り返るが、22秒22の日本新でゴールした。そして、出場が内定している世界選手権に向け、「持ち味である中盤と後半にかけてスピードを維持してタイムを狙っていきたい。世界選手権では金メダル、さらに世界記録を狙う」と意気込みを語った。
フィールド競技・男子やり投げでは、F12(視覚障がい)クラスの若生裕太(電通デジタル)が日本新となる60メートル03で優勝した。これは東京パラリンピックの同種目で4位に相当する記録だ。50メートル台中盤の記録が続いていた5投目、「ウォー」という雄叫びとともに若生が放ったやりがグングンと伸び60メートルのラインを超えた。「記録を求めたら今後につながらない」と、「昨年は自分の投げのイメージを作って再現性を高める1年にした」ことが実を結んだ。4月1日の国士館競技会で60メートル51の記録を出し、世界選手権の内定がかかる今大会にピークを合わせた。あと一歩のところで東京パラリンピック出場を逃し、50メートルにも届かなくなるような“挫折"を経験し涙を流したこともあった。もう一度原点に立ち戻り、投げる動作や運動といった原理・原則を学び、流れの中で投げることを意識したという。「落ち込みまくったとき、家族や仲間、指導者に背中を押してもらったことが前を向く原動力になった」と若生。「東京パラリンピックに落選した悔しさを今日少し乗り越えられた。これで一歩前に進めた」。あの日のような悲壮感はもうない。初出場となる世界選手権を前に、「素直にうれしい。世界で戦えるようにしっかりレベルアップして、4位以内、そしてメダルを獲得できるようにしたい」と、長いトンネルを辛抱強く耐え抜いたからこその強さと自信に満ち溢れた表情で語った。
男子やり投げF46(上肢障がい)のクラスでは、東京パラリンピック7位入賞の山﨑晃裕(順大職員)が58メートル37で優勝した。世界選手権出場をかけた最後のチャンスとなる今大会でようやく派遣標準記録を突破し「めちゃめちゃうれしい」と喜びを語った山﨑。「(派遣標準記録は)自分が投げられる記録だからこそプレッシャーがすごかった」と話す。5年前から腹斜筋を痛めていて筋力が落ち、競技を続けられないかもしれないという不安の中で戦っていた。「くじけまくった。でも挑戦するしかないので、下を向いてでも前に進んでいこうと思った」。ライバルの高橋峻也(トヨタ自動車)に「一緒にパリの世界選手権に行こう」と言われ、気合いが入ったという山﨑。その高橋と「今日は絶対勝ってやるからな」と言い合いながら試合をしていたと明かし、4投目で逆転すると王者奪還を果たした。東京パラリンピックでは自身の満足のいくパフォーマンスが出せなかっただけに、来年のパリパラリンピックへの思いは強い。「もう一回勝負して、海外の選手たちに必ず勝ちたい。勝てる自分になることが目標」と語る山﨑は、その切符を手にするため、世界選手権で4位以内を狙う。
ライバル対決で、熱い戦いを見せた石田駆(中央)と三本木優也(右)
この山﨑と高橋のように、この日のレースでは、お互いを高め合う“ライバル対決"が印象的だった。
男子100メートルT45・T46(上肢障がい)では、ともに10秒90台の記録を持つ石田駆(トヨタ自動車)と三本木優也(京都教育大学)がデッドヒートを繰り広げ、11秒00をマークした石田に軍配が上がった。レース後、顔を赤らめ涙を浮かべながら報道陣の前に現れた三本木は「もっといけるし、負けると思ってなかったので、正直悔しいです」と言葉を絞り出し、「集中はしていたが、いつの間にかレースが終わっていた。もっと10秒にかける思いを強くしなければ」と今後の奮闘を誓った。一方の石田は、世界選手権の当日に照準を合わせられるよう、コンディションを整えることを考えてこの日の試合に臨んだといい、「レース展開としては、まとまってきているが、まだ伸びしろがある」と自身の走りを振り返った。「三本木選手はライバル」と語る石田は、「彼がいることでモチベーションを高く保ってタイムを更新していく希望を持つことができる」と、ライバルへのリスペクトも忘れなかった。
200m(T64)で惜しくも2位でフィニッシュした大島健吾
男子200メートルT64(義足・機能障がい)では、井谷俊介(SMBC日興証券)が中盤あたりで肉離れのような状態になりながらも23秒59で走り切り、前日の100メートルに続き、ライバル・大島健吾(名院大AC)を0秒07差で振り切った。レースを終え大島は「井谷選手に負けるとは思っていなかったので、すごく悔しい」と率直に語った。東京パラリンピック後に義足を変え、陸上の知識もイメージもアップグレードした。それなのに記録が伸びないもどかしさを口にし、「今はあまり陸上が楽しくない」と現在の心境を話す。「カラカラのスポンジのように吸収して、やったらやった分だけ記録につながった。それを試合で表現するのが楽しくてしょうがなかった」。それを知っているからこそ、陸上が楽しくないという今も、走ることの楽しさは失っていない。「今はしんどいところにいるが、自分が成し遂げたいところに行かずに終わることはしたくはないので頑張ります」、そう前を向いた。
来年5月には、同会場を舞台に「神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会」が開催される。1年後、さらに進化した選手たちのパフォーマンスと活躍が観客を魅了する、そんな期待を抱かせた大会となった。
(文・張 理恵、撮影・湯谷夏子/鈴木奈緒)
【記録一覧】
●アジア新記録
男子T13 100m 10秒98 川上秀太(アスピカ)
女子T34 200m 35秒07 北浦春香(インテージ)
女子T61 走幅跳 3m88 湯口英理菜(アシックス)
●日本新記録
男子T13 200m 22秒22 川上秀太(アスピカ)
女子T32 200m 1分18秒93 仲元ゆかり(兵庫パラ陸上競技会)
女子T54 200m 31秒03 中村嘉代(EY Japan)
女子T34 800m 2分19秒80 小野寺萌恵(北海道東北パラ陸上)
●大会新記録
男子T36 100m 12秒57 松本武尊(ACKITA)
男子T47 100m 11秒00 石田駆(トヨタ自動車)
男子T64 200m 23秒59 井谷俊介(SMBC日興証券)
23秒66 大島健吾(名院大AC)
男子F12 やり投げ 60m03 若生裕太(電通デジタル)
女子T35 100m 18秒96 櫻井円(ACKITA)
女子T63 200m 37秒61 保田明日美(三重パラ陸協)
女子T47 200m 27秒04 辻沙絵(日体大)
女子T20 走幅跳 4m99 川口梨央(NPOかがやき)
女子T61 走幅跳 4m65兎澤朋美(富士通)
【陸上】
一般の陸上競技と同じく、「短距離走」「中距離走」「長距離走」「跳躍」「投てき」「マラソン」と多岐にわたった種目が行われる。
障がいの種類や程度に応じて男女別にクラスが分かれ、タイムや高さ、距離を競う。選手たちは、「義足」「義手」「レーサー」(競技用車いす)など、それぞれの障がいに合った用具を付けて、パフォーマンスを磨いている。
用具の進化によって、選手のパフォーマンスが上がっていることは事実だが、決して用具頼りの記録ではない。用具を使えば技術が上がるわけではなく、選手には使いこなすだけの身体能力、筋力、バランスなどが必須となる。
視覚障がいのクラスでは、選手に伴走する「ガイドランナー」や、跳躍の際に声や拍手で方向やタイミングなどを伝える「コーラー」などといったサポーターの存在も重要となる。選手とサポーターとの信頼なくしては成り立たず、息の合ったやりとりはふだんの練習の賜物でもある。
クラスによっては、オリンピックにも劣らないレベルの記録が出るなど、時代とともにレベルが高くなっており、毎大会トップ選手の記録更新が注目されている。多種多様な障がいの選手が一堂に会し、さまざまな工夫を凝らし、自分自身の限界に挑む姿が見られるのが、この競技の魅力でもある。