パリパラリンピック水泳日本代表に内定した木下あいら
パリ・パラリンピック水泳日本代表選考会を兼ねる「2024 日本パラ水泳春季チャレンジレース」2日目の3月10日、静岡県富士水泳場(静岡県富士市)ではパリの大舞台を目指すパラスイマーたちの白熱したレースが繰り広げられた。会場には、パラリンピックへの切符をつかみ取ろうとベストを尽くす選手たちの背中を押そうと、たくさんの人々が応援に駆けつけた。
ひときわ大きな声援を受け、「派遣A」基準記録を見事に突破したのは、SM14(知的障がい)の木下あいら(三菱商事)だ。緊張した面持ちで、女子200メートル個人メドレーに出場した。昨年7月の世界選手権では同種目で銀メダルを獲得した木下に、大きな期待がかかった。
木下は最初のバタフライで力強い泳ぎを見せると、続く背泳ぎでも快調にレースを進める。「あいら!あいら!」と、木下の顔写真入りの応援うちわが客席で舞うなか、100メートルをターン、後半の平泳ぎに突入した。「いつも通りの泳ぎができるように、焦らないようにした」という木下。得意とする自由形では大きく水をかく力強い泳ぎを披露しゴールした。電光掲示板に2分25秒92のタイムが表示されると、割れんばかりの拍手と歓声が響いた。
「目標にしていた派遣A基準記録をきれて、ほっとしました。うれしいです」
高校生(17歳)の木下は少しはにかみながら、白い歯を見せた。
自身初となるパラリンピックに向けては、「積極的なレースをするので、そこを見てほしい。これからもっと強化してタイムを上げて、自分のいい泳ぎをしてメダルを獲るのが一番の目標」と意気込みを語った。
男子100メートルバタフライの2組には、この種目で東京パラリンピック・金メダルを獲得した木村敬一(東京ガス(株))と、銀メダルの富田宇宙(EY Japan)が登場した(ともにS11(全盲)クラス)。
前日のレースでは、木村が50メートル自由形で26秒23と「派遣A」にわずか0秒03届かず、「派遣B」での基準記録突破となった。富田は、体調不良をなんとか乗り越え出場した400メートル自由形で4分37秒04と、こちらも「派遣B」を切るタイムに終わり、悔しさを口にしていた。それだけに、この日のバタフライに臨む思いは大きかった。
スタート前に名前がコールされると、木村は深く一礼し、富田は右手を挙げ、観客席からの応援にこたえた。レースは序盤から木村が勢いよく引っ張り、50メートルを28秒83でターン。木村は後半も集中した泳ぎを見せ、オリンピック競泳(バタフライ)メダリスト・星 奈津美さんのタッピングでゴール。1分03秒03で「派遣A」基準記録を突破した。続いて富田も1分03秒99でフィニッシュ、こちらも「派遣A」をきるタイムでエースの意地を示した。
「しっかり自信を持って大会を終えられたのでよかった」と、レース後の木村。
東京パラリンピックで悲願の金メダルを獲得してからは、モチベーション維持の難しさを口にすることもあった。「リオが終わって東京までは1試合たりとも負けたくなかった。今はどうやったら自分が速くなれるのかということを考えられるようにもなった。これまでと同じことをやって金メダルを獲ろうとは思っていない。金メダルが獲れたので、仮に泳ぎが壊れてしまってもいいのかなという気持ちで新しい取り組みができれば」
昨年の春季記録会でこう語った木村は、さらなる進化を目指し、新たなアプローチで自らの泳ぎを追求した。星さんをフォームコーチとして迎え、バタフライのフォーム改善に取り組んでいる。
それから1年。「自分の知らなかった世界、いろんなことを泳ぎというもので教えてもらった。この1年は新しいことをたくさん知ることができた。水泳を長いことやってきたが、それでもまだまだこんなに知らないことがあるんだなということも楽しむ一年にできた」
パリ・パラリンピックでの連覇に向け、守りではなく攻めの姿勢で、木村のチャレンジは続く。
「まだまだ自分のバタフライの技術力は(目指すところに)及んでいない。しっかりと磨き上げて、もう一度世界で戦えるような泳ぎをつくってパリに臨みたい」
100mバタフライでパリパラリンピック代表内定となった富田宇宙
一方の富田は100メートルバタフライのレース後、「派遣Aの突破は最低限の目標として掲げていたので突破できてうれしい。このタイムを突破できるというのが、パリ・パラリンピックでメダルに関わっていく最低ラインになるので、まずはほっとしている」と率直に心境を語った。
そして、東京パラリンピックで木村と表彰台にのぼった同種目で、ともに、メダル獲得を想定した「派遣A」基準記録を突破しての代表内定となったことについては、「同じクラスで世界のトップを争う仲間がいるというのは、ありがたいこと。彼もいろいろな工夫をしながら記録を向上させているところ。切磋琢磨して、二人で頂点に向かって挑戦していく姿勢を見せていきたい」と力強く述べた。
パラリンピック代表選考会となる今大会を前に、過度の練習量により体調を崩し、レースの泳ぎを確認するはずだった前週に全く練習ができなかったという。一時は「本当にダメかと思った」と話し、大会の2、3日前にようやく回復の兆しが見えスピードが出始めたので、どうにかレースに来られたと明かした。予期せぬアクシデントに直面したが、それでも富田はこれを「経験値」としてポジティブにとらえる。
東京に続き、2大会連続での出場となるパリ・パラリンピック。
「社会人でパラ水泳選手になって、木村選手や鈴木孝幸選手といった素晴らしいパラリンピアンに出会い影響を受けた。それを多くの人に届けたいし、自分もその一助を担えればという思いで競技をやってきた。東京2020大会は無観客での開催だったので、パリでは(多くの観客の中で)パラリンピックの本当の在り方というのを肌で感じ、パラスポーツを見て多くの人がエキサイトする白熱したステージを目の当たりにしたい。そこに自分が選手として関われるのは幸せなこと。しっかり結果を出して、メダルを獲ったり戦う姿勢というのを届けなければいけない。あと半年、自分にできることを最大限やって、最高のパフォーマンスをみなさんに見せたい」と、パリ2024大会への思いを語った。
220名がエントリーした今大会。2日間にわたる全レースを終え、パリ・パラリンピック水泳日本代表に内定した22名(男子12名、女子10名 ※保留を含む)が発表された。
パラ水泳では、5月3日~5日に「2024ジャパンパラ水泳競技大会」が横浜国際プール(神奈川県横浜市)で開催される。パリ・パラリンピックでの活躍を誓う、トビウオパラジャパンの道のりに注目したい。
(文・張 理恵 / 写真・鈴木 奈緒)
●パリ 2024 パラリンピック競技大会 水泳競技日本代表推薦選手 ・保留選手
【日本代表推薦選手】
山口 尚秀(四国ガス)
鈴木 孝幸(GOLDWIN)
窪田 幸太(NTTファイナンス)
木村 敬一(東京ガス(株))
富田 宇宙(EY Japan)
宇津木 美都(大阪体育大学)
木下 あいら(三菱商事)
萩原 虎太郎(セントラルスポーツ)
日向 楓(宮前ドルフィン)
田中 映伍(東洋大学)
南井 瑛翔(近畿大学)
村上 舜也(NECGSC)
石浦 智美(伊藤忠丸紅鉄鋼)
芹澤 美希香(宮前ドルフィン)
小野 智華子(あいおいニッセイ同和損保)
西田 杏(シロ)
由井 真緒里(上武大学)
福井 香澄(個人(滋賀県))
【保留選手】
川渕 大耀(宮前ドルフィン)
齋藤 元希(スタイル・エッジ)
辻内 彩野(三菱商事)
福田 果音(KSG ときわ曽根)
●記録一覧
【アジア新記録】
川渕 大耀(宮前ドルフィン) S9 男子400m自由形 4:20.63
宇津木 美都(大阪体育大学) SB 女子100m平泳ぎ 1:25.23
南井 瑛翔(近畿大学) SM10 男子200m個人メドレー 2:18.03
【日本新記録】
石浦 智美(伊藤忠丸紅鉄鋼) S11 女子50m自由形 30.10
女子100m自由形 1:09.68
齋藤 元希(スタイル・エッジ) SM13 2:17.71
【水泳】
大きく分けて「肢体不自由」「視覚障がい」「知的障がい」のカテゴリーがあり、自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ、個人メドレー、メドレーリレー、フリーリレーの7種目。それぞれ障がいの程度に応じたクラスに分かれてタイムを競う。
使用するプールやスタート台は、一般の水泳と同じ。ただし、障がいを考慮して、一部ルールを変更して行われている。例えば、視覚障がいのクラスでは、ターンやゴールの際にプールの壁に衝突しないように、コーチが「タッピングバー」と呼ばれる棒で選手の体をタッチして合図をする「タッピング」が行われる。また、両腕が欠損しているなど、障がいによってスタート時に体勢が不安定な場合は、用具を使用したり、コーチなどによって体を支えられることが認められている。
選手はそれぞれ自分自身の体の状態にあった泳ぎ方を開発し、さまざまな工夫が凝らされている。たとえば、視覚障がいの選手は、日常の練習で方向をつかむ感覚を養うとともに、レーンロープを頼りにして、少しでもロスを少なくしようと努めている。