表彰台で笑顔を浮かべる佐藤友祈(左)と伊藤智也(右)
パリ2024パラリンピック競技2日目の30日には、スタッド・ド・フランスでパラ陸上がスタートした。男子T52の400mでは、午前の予選を通過した佐藤友祈と伊藤智也が、午後に決勝に臨んだ。東京2020パラリンピック覇者の佐藤は連覇を逃したものの2位でフィニッシュし、銀メダル。日本選手団最年長61歳の伊藤は銅メダルを獲得し、2012年ロンドンパラリンピック以来、3大会ぶりに表彰台に上がった。
カラバンの加速に引き離されまいと必死に食らいつく佐藤
佐藤、悔しくもスタートに成長を感じた銀メダル
「超悔しい」。決勝のレースを終えた佐藤のインタビューは、この言葉から始まった。
この日の午前中に行われた予選で、佐藤は同じ組の中で唯一1分を切るタイムで走り、トップでゴール。実力通り組1着で予選を通過した。だが、その前の組ではマキシム・カラバン(ベルギー)が佐藤が持っていたパラリンピック記録を1秒近く更新。昨年の世界選手権では世界記録を塗り替えられた若き新星との差は、この日の予選では3秒以上も開いていた。
それでも佐藤は、決勝に向けて手応えを感じていた。
「200m付近まではしっかりと加速していって、周りを見ながら自分が今どのへんにいるのかを意識してゲームメイクするような感じで走りました。58秒04というタイムですが、合格ラインかなと感じていました」
佐藤は、昨年の世界選手権後、オランダのコーチに師事し、トレーニングを重ねてきた。今年6月のスイスグランプリでは、100mで初めて16秒台をマーク。さらに400mでは久々に自己ベストを更新と、自らの走りに成長を感じながらパリへと乗り込んでいた。
この日、予選から約8時間後に行われた決勝のレース、佐藤は自信を持って臨んだ。するとスタートでの加速は、佐藤の方が上回り、レース序盤はカラバンを引き離した。佐藤自身も大きな手応えを感じながら走っていた。
「スタートはマキシム選手がめちゃめちゃ速いというようなことは感じていなくて、むしろ自分自身がコーチとしっかりとトレーニングを積んできてスタートの改善に取り組んできた成果が表れているなと感じていました」
ところが第1コーナーあたりからカラバンが加速し、第2コーナーに入る前に佐藤たちを抜き去って行った。そこからは、まさに彼の独壇場と化した。
結局そのままトップでゴールしたカラバンが、金メダル。佐藤は銀メダルとなり、連覇達成とはならなかった。それでも予選よりタイムを落としたカラバンに対し、佐藤は雨と寒さの厳しい条件のなか予選よりも2秒近く縮めてみせた。
「東京大会の時よりも力がついているというふうに自信を持って言えます。ただ今回はマキシム選手の方が一枚上手でした」
しかし、今大会でのカラバンとの勝負はまだ終わっていない。9月5、6日には100mで再び顔を合わせる。
「スタートではトレーニングの成果を感じているので、100mではマキシム選手に一泡吹かせたいなと思います」
レース後半、ありったけの力をこめてレーサーを漕ぐ伊藤
激痛に耐え、3大会ぶりに表彰台に返り咲いた伊藤
佐藤に続いてゴールし、日本勢として最年長でのメダリスト(銅)となったのは伊藤だった。しかしレース中、彼の競技人生を表すかのように、伊藤は天から突き落とされるようなアクシデントに見舞われていた。
スタートは、申し分なかった。競技人生最高の時速33.4キロをマークし、61歳にしてさらに進化を遂げようとする走りを見せた。ところが、第3コーナーで突然、背中から激痛が走り、腕を上げることができなくなった。実は前兆はレース前にあったという。
「招集時間が長すぎて、そこからずっとしびれていたんです。こんなことは初めてでした。気温も関係していたと思います。初めてこんなことをしましたが、レーシングウエアの下にジャージを着たくらいめちゃくちゃ寒かったです」
100m以上も激痛に耐えながら、伊藤はなんとか3位でフィニッシュした。61歳でのメダル獲得は、日本勢として史上最年長記録。そこに至るまでは、まさに茨の道だった。
2004年アテネ大会でパラリンピックデビューを果たした伊藤は、08年北京大会では400m、800mで二冠を達成。12年ロンドン大会でも200m、400m、800mで3つの銀メダルを獲得した。一度は現役を退いたが、自国開催の東京大会を目指し、17年に復帰。19年世界選手権では100m、400m、1500mでメダルを獲得し、健在ぶりをアピールすると同時に東京大会への切符をつかんだ。
ところが、東京大会の開幕直前にT52から障がいの軽いT53へとクラス変更を余儀なくされた。その結果、東京大会では予選で姿を消した。
しかし、その後も競技を続ける選択をした伊藤を、陸上の神さまは見放さなかった。今年6月のスイスグランプリでのクラス分けで、元のT52へ戻ることとなったのだ。“未来を夢見ることすらままならない"日々に終止符を打った伊藤は、同大会でのタイムでパリ大会への出場権を獲得。今大会の銅メダルは、本来の輝きを取り戻した証でもあった。
「もちろんタイムとしては満足はいっていませんが、それでも私の場合はメダルを取れたかどうかが大事だった。そういう意味ではまず一つ結果を残したというのは、最低限の仕事はできたんじゃないかなと思っています」
そして、こう続けた。
「東京からの3年間はまったく無駄ではなかったですし、その間一度も諦めたことはなかった。だからこそ、こうやって帰ってこれたのだと思います。ロスに行くとは言い切れませんが、体がもつのであれば行きたいなという気持ちはあります。今回のパリはその入口の一つになったかなと思いますので、出口に向けて全力で走ります」
61歳のレジェンドは、まだまだ進化を遂げていくに違いない。
(文・斎藤 寿子/撮影・中島 功仁郎)